随想の細道

日常の感動を感ずるままに綴っています。よろしければ、ご覧ください。

人生の道しるべ

ありのままの姿はどうであるか(湯浅先生)
ありのままの姿と言いましても、それは感動を起こさせた素材のみについて言うことであって、例えば叙景歌などの場合において、咲いた桜の枝が風吹くごとにたわわに揺れている姿に感じた美しさを歌にしようとする時に、もしその場のありのままの姿を全部言ってしまおうとすると、花が七分で蕾が三分であったとか、少しは芽吹いた若葉がかすかながら音を立てるとか、小枝は揺れるが少し大きい枝は揺れないとか、いやもう沢山の事柄が全部ありのままの姿ということの中に含まれてきてしまいます。しかし、そこで美しさを感じたのは、桜花の枝が風に揺れ動く姿だけなのでありますから、そこを歌にするための、ありのままの姿とは、当然風に揺れ動く桜花の枝がどういうふうであるかということだけに限られてくるのです。そして、ひとまず、それ以外のことはその歌には用いないものとして捨て去る必要があります。すなわち、ありのままの姿はどうであるかということについては、以上のような注意をしてその次に、前の例で言えば、桜の花枝が揺れているのはどういう具合に揺れているのであるかをよく注意して見ることです。換言すれば、揺れ方にも色々あるから、それをよく心の内で実際の姿と照応して見定めることです。ただ、揺るるというのと、さ揺るる、というのと、また感じの上では揺らぐというのと、揺れふるうというの等々、みな違ってくるのです。以上、要約すれば、第一の留意事項としては、素材の状態をはっきりさせるということになります。