随想の細道

日常の感動を感ずるままに綴っています。よろしければ、ご覧ください。

人生の道しるべ

上野夕穂 湯浅先生の鑑賞 その二
「飛ぶ鳥の消えたる」というのは、それは、こころの中にはまだ「飛ぶ」鳥がはっきりと影像を持ち、動きが感じられている瞬間の気持ちを伝えております。しかし、実際には、鳥の姿は視野から消えてしまったのです。その瞬間、現実の目に残るものは何でしょうか。それは、遠くはるけく広がっている海の沖のたたずまいだけです。鳥は消えた。眼に飛び込んでくる広々とした沖。この瞬間の感覚の推移を、「飛ぶ鳥の消えたる沖」と言いあらわしました。さりげなく言ってはありますが、「消えたる沖」という、この続け方にはまことに企まぬ繊細な技巧とでもいうべきものがあるように感じます。情景は一転して、沖のすがたにクローズアップされてきます。鳥の消えていったあとには、ただ茫漠とした沖があるからです。ところが、そうして眼にはいってくる沖のたたずまいは、折からの晴れた夕べの残照に、なかばは影を持ちながら、かたがわは動きにつれて光つつ,、無数のカスリ模様をひろげている波と波のかさなりなのです。そのような波のすがた以外には何物も目にはいるものとてない、はてしなきむなしさは、たったいま遠く消えていった鳥の残像が心にとどまっているだけに、ひとしおのものとして感じられます。それを「のみ」という言葉であらわしました。このように鑑賞してまいりますと、この歌は一字一句に珠玉をいたわるようにして、磨きをかけ息吹を込めて、いささかの無駄も許さず、作られていることがわかります。そのときに受けた感動を、大切に大切に愛して歌の上に再現すべく心を凝らしていることが感じられます。そして、作者の人柄の、まことにこまやかな、豊かな心情にまで触れさせていただけるように思います。