細井魚袋 先生の鑑賞
わりきれざるもののなかよりわが一生究めむとするくるしかりける
一生
しづかにしづかにわれはあゆみをり冬日さししむふるさとの道
かたはらにひとのをらぬをよろこびてあゆみつづけぬふるさとの道
ふるさとの道をしづかにあゆみしにわれにうれひのかげとてもなし
細井魚袋
ふるさとの道には、おりから沁みるように冬の日がさし満ちているのです。彼の歩みももちろん静かだったのでしょうが、その冬の日の故郷の道の界隈も、しんとひそまりかえった静かな日であったに違いありません。そうした冬日の静けさのうちにあって、しみじみとふるさとを味わいながら、思い入れ深く彼は道を歩み続けたのです。かたわらには誰一人居りませんので、自分のひとりごころをみだされることもないことが有難く思えるのでした。ふるさとの道を歩きながら、ふるさとが包んでくれる自分へのそこはかとない愛情のようなものさえ感じていたことでしょう。ふるさとは、彼のこころを安らかにし、いつまでもやさしく彼を包んでくれているような心地さえしたであろうと思われます。それまでは、彼は自分の人生に対するわりきれなさの故に、つきつめて悩むことも多かったのですが、ふるさとの道を心静かに歩みつづけているうちに、おのずからそうした憂いのかげも消えてしまうのです。ふるさとのたたずまいや、それからただようて来る得も言えぬしたしさややさしさなどの気分が、彼をそのときそのときにあるがままにあることで、もう何も思いわずらうこともないというような、すがすがとした心によみがえらせます。
同じ歌集に、
こぼれくる秋の光をあびをれば寂光のなかにゐるここちしぬ
という歌がありますが、それと同じように、彼がふるさとの道を静かに歩みながら、いつしか何のせいともわからず、ふるさとの心に包まれて、透徹した澄み切った心情になっていったであろうことが推察されます。