随想の細道

日常の感動を感ずるままに綴っています。よろしければ、ご覧ください。

人生の道しるべ

愛(御木徳近教祖)
  愛する愛

愛というものは、物質的なものではなくて、純粋に精神的なものだ、と考えている人がいる。愛というものは、人を好きになること、信じたり、尊敬しあうものだと思っている人もある。いずれもまちがった考え、思いちがいなのである。なるほどそれらは愛の一部分ではあるだろうが、愛そのものではない。

 愛とは、物質までをくるめた、自分のものを与えるという行為、それが愛というものである。自分のものというのは、自分が生きているということのあかし、よろこび、理解、物質、知識、情熱、意欲、希望その他あらゆるもの、悲しみももちろんふくまれたものだ。

その表現を与える行為が愛なのである。

夫婦間の愛においては、夫はそれらを妻に与える。だがその行為は、自分がなにかを犠牲にして与えるものではない。また妻の愛を期待して与えるのでもない。与えること自体が夫(男)にとってはよろこびである、というようなものを愛とよぶのである。

「こんなに愛しているのにわからないのか」

と言う人がある。愛は行為であって、「愛」の表現をしない「愛」はないのであるから、現実にはこんな言葉も状態も成立しないもの。

彼女(または彼氏)が「好きだ」という恋愛感情と愛を混同しているから起こるのである。

夫婦間の愛には、男女の性別があるように、男(夫)の愛と、女(妻)の愛とがあって、すべてを与えるのは男の愛である。別の表現をするなら、それは「愛する愛」とよばれるようなものである。

                       御木徳近著 「愛」より