愛の表現 その四(御木徳近教祖)
ある社長の、創業時代の話だが、彼が久しぶりで出張先から帰宅すると、店員の一人が居残って彼の帰りを待っていた。一身上のことで相談があるという。話は深夜にまでおよんだ。
「泊まっていくように言ったから、ふとんを敷いてやってくれ」
「お客用のふとんなんてないわ」
夫人は不機嫌に言う。
「僕らのがあるじゃないか」
「そんなにまでしなくたって、帰ってもらったら?若いんですもの、歩いたって平気よ」
「いま何時だと思う。店員たちのおかげで商売ができるんだよ。それを忘れて、自分の生活だけを大事にするような者は、僕の女房ではない。夜が明けたら実家に帰ってくれ」
いつになく厳しい夫の態度に、夫人は不承不承に、自分たちのふとんを若い店員に提供した。
翌朝、夫人は自分のいたらなさを夫にわびたが、しかし、心から夫の言うことが理解できたのではなかった。夫にさからってはいけない、という思いのほうが強かったのである。だが同時に彼女は、自分を放りだしても店員を大事にする夫に疑問を抱いた。それからは、店員に対する夫の態度を気をつけてみるようになった。すると、頭ごなしにどなりつけたり、大声でミスをとがめたりする夫の態度のなかに、店員に対する言うに言われぬ温かい思いやりがにじみ出ているのに気づいた。寒い夜を、店員のためにふとんを貸して、自分たちは古着やオーバーにくるまって寝たことが思いだされ、とたんに彼女ははっと気がついたという。
どなられながらも、店員たちがなぜ夫を信頼し、したっているかがわかってきたのだった。
「私がいたらなかったのです・・・・・」
心から夫にわびたのは、こうした出来事があって半月もたってからだった。
「いいんだよ、わかってくれれば」
と夫からやさしくいたわられて、彼女ははじめて夫の深い愛情がわかったという。
説明をする必要もないことだろう。社長の、妻に寄せたきびしい愛情が、妻をりっぱにしたのである。努力して、真に夫を理解した妻の態度も美しい。
妻が夫の心の外に出かかったときは、引きもどしてやる愛情が必要なのだ。愛するとは、小さな要求に妥協することではない。相手を生かすこと、相手をして完全表現をせしめんとする、ひたぶるなる努力である。
御木徳近著 「愛」より