随想の細道

日常の感動を感ずるままに綴っています。よろしければ、ご覧ください。

人生の道しるべ

愛の表現 その三(御木徳近教祖)
養女だとわかって、親をうとましく感じたり、日ごろの恩を忘れ、自分だけが不幸だという思いにおちこんでしまったのでは、N子はゆがんでくる。美しさがそこなわれる。

夫を尻に敷くようでは、妻としての美徳はくずれる。女のふかいよろこびも味わえなくなる。

B男やGのとった態度が、そのままりっぱな行為だったと、手ばなしの賞賛はできまい。が、相手を生かそうとする真情から発した行為であるだけにそれは美しい。相手の心を打つ。

恋人の誕生日だからといって、決算期の忙しいときに休暇をとる男。

どうせ半ドンだから、と会社をサボって妻との週末旅行に人生の幸福をおぼえる男。

男性の家庭化というか、誤ったマイホーム主義というか、最近は、こうした男性が多くなっていく傾向にあるという。いずれにせよ、同性のひとりとしてさびしくなる例である。こんな男性ばかりでは、社会の改善も、進歩も望めはしない。

人を愛することのなかには、相手の要求を満たしてやることもふくまれている。しかし、それは正しい要求の場合だけである。正しい要求とは、生命のための要求、使命のための要求、働きのための要求であり、それによって人間的に美しくなるような要求である。もし、人間としてみにくくなるような要求、人間の幅を小さくするような要求なら、思いとどまらせてやるのが真の愛情である。

                     御木徳近著 「愛」より