随想の細道

日常の感動を感ずるままに綴っています。よろしければ、ご覧ください。

人生の道しるべ

高安やす子 先生の鑑賞
白樺にめざめし小鳥とびたちて光たばしるごとき朝あけ

 

白樺の木にねぐらをとっていた小鳥らが朝のけはいと共に飛び立つと、その羽交いに折からの朝の光がさして、羽ばたきと共にたばしるようにかがやくのでしょう。光たばしるというのは、鳥の翼にキラキラとてりかえす光に相違ありませんが、それを、あたりいっぱいに光がたばしるような美しい朝あけだと感じています。これはすでに、単に鳥の羽に光る光ではありません。この世のものとも思えぬほどの、朝そのもののすがすがしい美しさなのです。それを、殊更の気負いもなく、「翼に」とことわることもなく、落ち着いた言葉で、単純直接に「光たばしるごとき朝あけ」と言いおろしたことに、強く心惹かれるものがあります。

 

 

満潮となりたる浪は時折に思はぬ岩を越えてたぎつも

 

日の條は時雨雲より洩りてさす敷浪白き打出の磯に

 

はだら雪ふりたる庭に雪雲をもれくる光しばしにて消ゆ

 

この三首の歌、一見どうということもないように思われますが、じっと味わっておりますと、この歌のできた時の作者の心の生活が、しっとりと落ち着いた、心しずかな時であったことが、しみじみと受け取られてきます。冬の日和に心やさしくなっていたであろう作者が偲ばれる歌です。

 

 

庭芝を擡げて萌ゆるものの芽を明日は発ちゆく子と見めぐりぬ

 

子の部屋の広窓に満つる日の光われは入り来てひとり坐れり

 

子のぬぎて行きし着物をたたみつつわが空しさのすべなかりけり

 

きほひつつ出でゆかむ子に心よわく吾がさびしさは語らふべしや

 

二階の窓あくる音は子の部屋と思ひつつわれは夕をりにき

 

これらの歌を見ますと、言葉には出さぬ母親の子の上に寄せる心が、痛いほどひびいて来るのを感じます。