にじみ出る味 その二
朝若き光たださす桃畑の玄土の上に立ちたりわれは
ーーふるさとの朝ーー
岡野直七郎
かなしみて帰れるわれをふるさとの山はむかえぬ母のごとくに
青山に日の照る見ればやわらかにいたわられゐるわれかと思ほゆ
すがすがし野山見放くるわが前を朝の礼して村人ゆきぬ
この歌は服部忠志の家をたずねたときのものですが、顔見知りというほどのこともない人に対してでも、朝の挨拶をして通って行く村の人の人情に、都会には薄い人の心の温かさをとおとく感じ、美しい自然の姿がそのまま汚れなく息づいている農山村の、全体としての親しさや懐かしさを表現していると思います。きっと作者は、すがすがしい田舎のたたずまいと、しゅん厚な人情に触れて、心洗われるような思いになったであろうことがうかがえます。「わが前を朝の礼して村人ゆきぬ」とだけ言って他に何も細かい描写などをまじえることなく表現してあるにもかかわらず、村人の腰のかがめ方までが浮かんでくるように受け取れるところは、流暢な歌のしらべに、おのずから内包される味わいと言うべきでしょう。都会の、彼の心情からすれば俗塵とも言えるような環境から逃れて、田舎の清純な天地に触れたよろこびが如実にうかがえるように思います。
碑の文字のくぼみにさし照れる日光しづけし春としおもえば
この歌の上半の描写は、繊細にゆきとどいていますが、日光しづけしという四句目であざやかにその気分を浮き立たせています。やわらかい、暖かい春の日差しであることが、文字のくぼみにという細かい心づかいのある表現から感じられてきます。そして、情緒を主とした落ち着いた味わいが一首全体を通じてにじみ出ております。直七郎の作風は、事実を執拗に追い求めるというかたちはとらなくても、自分の心を重しとして、しらべのうちにおのずから自己の真実を表そうとしていることが分かるように思います。
以上で、この回の先生の鑑賞は、終わりとなりました。ありがとうございました。